九州ツーリング予告
筆者が「毎日が日曜日」になって最初に行動したのが、北海道ソロツーリングであったことはこのブログの最初の記事として報告した。
その後、福島・長野・栗の里・那智勝浦と幾つか1~2泊のツーリングをこなしてきたが、北海道ツーリング以来となる7泊8日のロングツーリングの予定が入った。
今回の行き先は九州一周で、仲間はモトラッドに出入りしているビーマー4人(この中の一人が筆者です)と会長の合計5台です。
先日、モトラッドのミーティングルームに参加者全員が集まり、コースの確認を行った。 今回のツーリングの企画を立ててくれたF氏の説明を聞き、コースを地図で確認することで気分が大いに盛り上がった。 筆者がモトラッドの宿泊ツーリングに参加するのは、昨年の福島と4月の栗の里に続いて3回目であるが、他のメンバーには過去何年ものツーリングの思い出があるらしい。
説明を受けた大まかなルートは以下の通りである。
1日目:足柄SAに5時半に集合し、新東名・伊勢湾・東名阪・新名神・名神・京滋BP・名神・中国と高速を乗り継ぎ、高田ICで降りて安芸高田の神楽門前湯治村で宿泊【749㎞】
2日目:高田ICから中国道で九州に入り、関門・九州の高速を経由し東九州自動車道の苅田北九州空港ICで一般道に下り、R10・R496・R212・R210で由布院を経由し別府温泉に宿泊【405㎞】
3日目:グリーンロード・やまなみハイウエー・阿蘇スカイライン・ミルクロードを走って南阿蘇に宿泊【230㎞】
4日目:中岳・高千穂峡・通潤橋を観光の後、広域農道を走ってこの日も南阿蘇に宿泊【177㎞】
5日目:熊本城を見学のあと九州自動車道で南下し霧島に宿泊【197㎞】
6日目:鹿児島市を通過し知覧特攻平和記念館・開聞岳・池田湖を見て指宿温泉に泊まり、砂風呂を体験する【145㎞】
7日目:なんきゅうフェリーで根占港に渡り、都井岬・鵜戸神社・青島を観光し、宮崎港から宮崎カーフェリーに乗船【213㎞】
8日目:宮崎カーフェリーで大阪南港に上陸し、阪神高速・京滋BPを経て、草津JCTから1日目のコースを逆に辿って足柄SAで解散【471㎞ 予定総走行距離2,587㎞】
なお、2日目と3日目には現地のビーマーが合流してくれ、地元ライダーお勧めのコースを案内してくれるという予定も入っており、BMW正規ディーラーの企画ならではの充実したツーリングとなりそうである。
下の画像は企画書に添付されていたコースの概略を示す地図で、大まかなコースを理解してもらえると思いご紹介します。

これほど克明な予定を立てたツーリングは初めてであり、このコースを設定して準備をしてくれたF氏の努力に脱帽である。
その打ち合わせ以来、まるで修学旅行に出掛ける小学生のように「あと何日」「あと何日」と数え続ける「毎日が日曜日」の日々を送っている。
その後、福島・長野・栗の里・那智勝浦と幾つか1~2泊のツーリングをこなしてきたが、北海道ツーリング以来となる7泊8日のロングツーリングの予定が入った。
今回の行き先は九州一周で、仲間はモトラッドに出入りしているビーマー4人(この中の一人が筆者です)と会長の合計5台です。
先日、モトラッドのミーティングルームに参加者全員が集まり、コースの確認を行った。 今回のツーリングの企画を立ててくれたF氏の説明を聞き、コースを地図で確認することで気分が大いに盛り上がった。 筆者がモトラッドの宿泊ツーリングに参加するのは、昨年の福島と4月の栗の里に続いて3回目であるが、他のメンバーには過去何年ものツーリングの思い出があるらしい。
説明を受けた大まかなルートは以下の通りである。
1日目:足柄SAに5時半に集合し、新東名・伊勢湾・東名阪・新名神・名神・京滋BP・名神・中国と高速を乗り継ぎ、高田ICで降りて安芸高田の神楽門前湯治村で宿泊【749㎞】
2日目:高田ICから中国道で九州に入り、関門・九州の高速を経由し東九州自動車道の苅田北九州空港ICで一般道に下り、R10・R496・R212・R210で由布院を経由し別府温泉に宿泊【405㎞】
3日目:グリーンロード・やまなみハイウエー・阿蘇スカイライン・ミルクロードを走って南阿蘇に宿泊【230㎞】
4日目:中岳・高千穂峡・通潤橋を観光の後、広域農道を走ってこの日も南阿蘇に宿泊【177㎞】
5日目:熊本城を見学のあと九州自動車道で南下し霧島に宿泊【197㎞】
6日目:鹿児島市を通過し知覧特攻平和記念館・開聞岳・池田湖を見て指宿温泉に泊まり、砂風呂を体験する【145㎞】
7日目:なんきゅうフェリーで根占港に渡り、都井岬・鵜戸神社・青島を観光し、宮崎港から宮崎カーフェリーに乗船【213㎞】
8日目:宮崎カーフェリーで大阪南港に上陸し、阪神高速・京滋BPを経て、草津JCTから1日目のコースを逆に辿って足柄SAで解散【471㎞ 予定総走行距離2,587㎞】
なお、2日目と3日目には現地のビーマーが合流してくれ、地元ライダーお勧めのコースを案内してくれるという予定も入っており、BMW正規ディーラーの企画ならではの充実したツーリングとなりそうである。
下の画像は企画書に添付されていたコースの概略を示す地図で、大まかなコースを理解してもらえると思いご紹介します。

これほど克明な予定を立てたツーリングは初めてであり、このコースを設定して準備をしてくれたF氏の努力に脱帽である。
その打ち合わせ以来、まるで修学旅行に出掛ける小学生のように「あと何日」「あと何日」と数え続ける「毎日が日曜日」の日々を送っている。
老厚幼冷社会を憂う
5月11日の朝刊に『子育て法案厳しい船出「総合こども園に」批判集中』という記事を見つけた。
新しい子育て支援制度として幼稚園と保育園の機能を一本化する「総合こども園」の創設を目指す法案の審議が、衆議院本会議で開始されたことを報じた記事であった。
審議では自民党と公明党が、自らが連立政権時代に始めた「認定こども園」の拡充で充分と主張し、それに対し政権側は「認定こども園」は認可や財政支援の面で二重行政であると反論したとのこと。
更には、2年前に現厚労相が「認定こども園」を「盲腸」と表現したことへの非難と、それに対する厚労相の言い訳などが記事となっている。 いつもの不毛な議論が繰り返されたようで、「元なんでも反対党の民主党」と「現なんでも反対党の自民党」のやり取りには、呆れて開いた口が塞がらない。
最近になって筆者の自宅近くに、高齢者専用マンションなるものが出来上がった。 まだそれほど入居者はいないようで空きがあるらしく、入居者勧誘の看板が出ている。その看板を見ると家賃58千円・共益費20千円・サービス料31.5千円と、ひと月に約11万円も必要であるらしい。

この程度の設備でこの金額を払う高齢者がいるのか?と心配になるが、運営する側はしっかりした企業であり、採算が取れる事業として建物を建てたわけで、わりあい高齢者はお金を持っているらしい。
このマンションだけでなく、近隣に次から次へと老人介護施設が竣工しており、それぞれがそれなりに採算を取って運営しているところを見ると、こうした施設に対して直接及び入居する高齢者を介した支援制度(年金制度もそのひとつ)が相当手厚いものと思われる。
一方で書き出しに取り上げたとおり、児童を預かる施設は慢性的に不足しているようで、待機児童問題は若いお母さん方にとって深刻な問題となっている。 それにも関わらず幼稚園や保育園を新設する工事は殆ど見たことがない。 つまり今の日本の福祉行政は、子供世代より投票権を持つお年寄り世代に軸足を置きすぎていることに問題があるように思われる。
こうした状況では少子高齢化が今後ますます深刻になっていくことになり、それに歯止めを掛ける政策に対して政治家が上辺の議論だけに終始し、現時点で投票権を持たない子供世代のことを、置き去りにしているように思われる。
これからは、児童教育に携わる教育者や、子や孫の成長を願う全国民が、もっと声を大きくしてアピールしていかなければ、行政はその重い腰を上げないのではないか。
もっとも、前述の「サービス付き高齢者向け住宅」は教育産業大手「学研」のグループ会社が運営するもので、児童教育と高齢者問題の双方に事業を拡大する企業グループであることに、多少の救いを覚えるのは筆者だけであろうか。
新しい子育て支援制度として幼稚園と保育園の機能を一本化する「総合こども園」の創設を目指す法案の審議が、衆議院本会議で開始されたことを報じた記事であった。
審議では自民党と公明党が、自らが連立政権時代に始めた「認定こども園」の拡充で充分と主張し、それに対し政権側は「認定こども園」は認可や財政支援の面で二重行政であると反論したとのこと。
更には、2年前に現厚労相が「認定こども園」を「盲腸」と表現したことへの非難と、それに対する厚労相の言い訳などが記事となっている。 いつもの不毛な議論が繰り返されたようで、「元なんでも反対党の民主党」と「現なんでも反対党の自民党」のやり取りには、呆れて開いた口が塞がらない。
最近になって筆者の自宅近くに、高齢者専用マンションなるものが出来上がった。 まだそれほど入居者はいないようで空きがあるらしく、入居者勧誘の看板が出ている。その看板を見ると家賃58千円・共益費20千円・サービス料31.5千円と、ひと月に約11万円も必要であるらしい。

この程度の設備でこの金額を払う高齢者がいるのか?と心配になるが、運営する側はしっかりした企業であり、採算が取れる事業として建物を建てたわけで、わりあい高齢者はお金を持っているらしい。
このマンションだけでなく、近隣に次から次へと老人介護施設が竣工しており、それぞれがそれなりに採算を取って運営しているところを見ると、こうした施設に対して直接及び入居する高齢者を介した支援制度(年金制度もそのひとつ)が相当手厚いものと思われる。
一方で書き出しに取り上げたとおり、児童を預かる施設は慢性的に不足しているようで、待機児童問題は若いお母さん方にとって深刻な問題となっている。 それにも関わらず幼稚園や保育園を新設する工事は殆ど見たことがない。 つまり今の日本の福祉行政は、子供世代より投票権を持つお年寄り世代に軸足を置きすぎていることに問題があるように思われる。
こうした状況では少子高齢化が今後ますます深刻になっていくことになり、それに歯止めを掛ける政策に対して政治家が上辺の議論だけに終始し、現時点で投票権を持たない子供世代のことを、置き去りにしているように思われる。
これからは、児童教育に携わる教育者や、子や孫の成長を願う全国民が、もっと声を大きくしてアピールしていかなければ、行政はその重い腰を上げないのではないか。
もっとも、前述の「サービス付き高齢者向け住宅」は教育産業大手「学研」のグループ会社が運営するもので、児童教育と高齢者問題の双方に事業を拡大する企業グループであることに、多少の救いを覚えるのは筆者だけであろうか。
我が家にも雹と突風の被害が!
5月6日に北関東を襲った突風被害に遭われた北茨城の方々にお見舞い申し上げます。
現場で被害に遭われた方々が撮影した動画をテレビで見て、突然の竜巻に襲われた恐怖感は我々視聴者にも十分に伝わって来ました。
翌日の新聞でもその被害状況が大々的に報道され、民家の土台のコンクリートが裏返っている写真を見て竜巻の猛威に驚くと共に、唯一の死者である14歳の少年がこの現場で亡くなったことを知り二重の驚きを覚えた。
この竜巻に遭われた方々の被害とは比べ物にもならないが、筆者の家庭菜園にも被害があったのでご報告したい。
筆者はこの日いつも通り家内と畑に出かけていた。 種から育てたナスとキュウリの育成が遅く、畑に出かける道すがらJAはだのの「じばさんず」に立ち寄り、ナスとキュウリとトマトの苗を購入して植えることにした。
午後になって朝買ってきた苗を植え、畑の隅に在る竹を切って添え木を立て、風で倒れないように紐で緩く結びました。 その頃になって空が薄暗くなり始め、富士山の方角(南足柄と山北)に見える山々が雨に煙って見えなくなって来た。
そうこうする内ぽつぽつと雨が落ち始め、遠くで雷がゴロゴロと音を立てて来た。 家内と二人で鍬を洗うなどの後片付けを急ぎ、道具を倉庫に格納し終わった丁度その時、雹が音を立てて降り始めた。 慌てて荷物をまとめているとこの雹が更に大粒となり、降る量も集中豪雨並みで畑の入り口に停めた車が見えないほどになると共に、強風が吹き荒れて来た。
植えたばかりの苗が強風に煽られるていることにも全く気づかず、逃げるようにして夫婦で車に飛び込み、濡れた衣服の湿気で曇るフロントウインドウをデフオガで乾かし、這々の体で自宅に戻った。
帰宅後TVニュースを見て、書き出しの惨事を知った次第で、 繰り返し流される竜巻による突風被害の画像を見て驚き、風の猛威に恐怖さえも感じていながら、この時点で自分の作物に被害が及ぶという発想はまるで浮かびませんでした。
翌日、いつもの通り畑に出向いてみると、昨日風に倒されないように添え木を立ててしっかりと結んでおいたはずの苗の茎が、結んだひもの部分で千切れ何処かに飛び去っていました。 その被害はナス2本、トマト2本、キュウリ4本で、昨日植えた苗で残っていたのは1本250円もした花が付いている立派に育ったナスだけであった。


早速その日の帰り道ビーバートザンに立ち寄り、ナスとトマトの苗を買い追加で植えたが、果たして芽を無くした8本の苗はこのあとどうなるのか?
本日(5月10日)天気予報どおりの雷雨に遭い、先回の轍を踏むまいと早々と畑から逃げ帰り、持ち帰った弁当を自宅で食べた後、空に轟く雷の音と稲光に空を見上げながらこの記事を書いています。
最後に、突風被害に遭われた方々の、1日も早い復興をお祈り申し上げます。
現場で被害に遭われた方々が撮影した動画をテレビで見て、突然の竜巻に襲われた恐怖感は我々視聴者にも十分に伝わって来ました。
翌日の新聞でもその被害状況が大々的に報道され、民家の土台のコンクリートが裏返っている写真を見て竜巻の猛威に驚くと共に、唯一の死者である14歳の少年がこの現場で亡くなったことを知り二重の驚きを覚えた。
この竜巻に遭われた方々の被害とは比べ物にもならないが、筆者の家庭菜園にも被害があったのでご報告したい。
筆者はこの日いつも通り家内と畑に出かけていた。 種から育てたナスとキュウリの育成が遅く、畑に出かける道すがらJAはだのの「じばさんず」に立ち寄り、ナスとキュウリとトマトの苗を購入して植えることにした。
午後になって朝買ってきた苗を植え、畑の隅に在る竹を切って添え木を立て、風で倒れないように紐で緩く結びました。 その頃になって空が薄暗くなり始め、富士山の方角(南足柄と山北)に見える山々が雨に煙って見えなくなって来た。
そうこうする内ぽつぽつと雨が落ち始め、遠くで雷がゴロゴロと音を立てて来た。 家内と二人で鍬を洗うなどの後片付けを急ぎ、道具を倉庫に格納し終わった丁度その時、雹が音を立てて降り始めた。 慌てて荷物をまとめているとこの雹が更に大粒となり、降る量も集中豪雨並みで畑の入り口に停めた車が見えないほどになると共に、強風が吹き荒れて来た。
植えたばかりの苗が強風に煽られるていることにも全く気づかず、逃げるようにして夫婦で車に飛び込み、濡れた衣服の湿気で曇るフロントウインドウをデフオガで乾かし、這々の体で自宅に戻った。
帰宅後TVニュースを見て、書き出しの惨事を知った次第で、 繰り返し流される竜巻による突風被害の画像を見て驚き、風の猛威に恐怖さえも感じていながら、この時点で自分の作物に被害が及ぶという発想はまるで浮かびませんでした。
翌日、いつもの通り畑に出向いてみると、昨日風に倒されないように添え木を立ててしっかりと結んでおいたはずの苗の茎が、結んだひもの部分で千切れ何処かに飛び去っていました。 その被害はナス2本、トマト2本、キュウリ4本で、昨日植えた苗で残っていたのは1本250円もした花が付いている立派に育ったナスだけであった。


早速その日の帰り道ビーバートザンに立ち寄り、ナスとトマトの苗を買い追加で植えたが、果たして芽を無くした8本の苗はこのあとどうなるのか?
本日(5月10日)天気予報どおりの雷雨に遭い、先回の轍を踏むまいと早々と畑から逃げ帰り、持ち帰った弁当を自宅で食べた後、空に轟く雷の音と稲光に空を見上げながらこの記事を書いています。
最後に、突風被害に遭われた方々の、1日も早い復興をお祈り申し上げます。
偶然出合った三角点
三角点に興味を覚え(と言うと聞こえが良いが実は「毎日が日曜日」の時間つぶし)幾つか探して写真を撮っている。
しかし、わざわざ出向いて写真を撮ったのではなく、偶然見つけた三角点が幾つかある。 今回はその偶然見つけた三角点を三つ報告いたします。
最初に、ごく最近見つけた三角点を紹介します。その三角点は2012年4月28日に那智勝浦ツーリングに出掛けた先で発見。 その時のいきさつは先日ブログ(那智勝浦へのツーリング(その2))で報告したとおりで、重複することになるが改めて報告する。
潮岬近くの樫野崎燈台を訪れ、トルコ軍艦遭難慰霊碑と燈台の間にある広場まで来たとき、「こんなところに三角点が在りそう」とキョロキョロしていると、ツーリング仲間のK君が「三角点がありますよ」と筆者が見つけるとほぼ同時に声を掛けてくれた。 K君はこのブログの数少ない読者で、筆者が三角点を探していることを知っていて見つけてくれたものです。
この三角点は非常に管理状態が良く、和歌山県と建設省国土地理院とが共同で設置した説明板が添えられていた。 三等三角点であることのほか、緯度・経度と標高が正確に表示され、三角点の設置時期が明治36年(西暦1903年)であることまで表示されていた。


次に報告する三角点は二つとも沖縄に旅行した時に偶然発見したものである。 最初に発見した三角点は2月13日に波照間島にある展望台で、床に埋め込まれた真鍮製の円盤を見つけ、刻印された文字を読んで三角点であることが判明した。 いつもの石製の三角点ではなく、真鍮製の三角点を見たのは初めてである。 この真鍮盤には『この測量標はすべての測量の基準です。三角点を大切にしましょう。 四等三角点 基+本 №109233 国土地理院』と刻印されていました。


今回の報告の最後は2月17日に沖縄本島の勝連城跡を訪れた時に発見したものである。 巨大な石垣で築かれた城跡の最上部で、いつもの4個の丸い石で囲まれた石柱を見つけ、こんな人工的な城跡に三角点があるとは考えも付かなかったので非常に驚いた。
勝連城跡の三角点は四等で背面に№と思われる数字が027 652と二行に分け刻まれていました。


この三つは全て偶然見つけたもので、このことが三角点は意外とどこにでも在ることを現しています。 四個の丸い石で囲まれた花崗岩の石柱の景色は、筆者の記憶の中にもそれが何処であったかは定かではないが克明に刻み込まれており、おそらく子供のときから何度か目にした光景であるに違いない。
しかし、わざわざ出向いて写真を撮ったのではなく、偶然見つけた三角点が幾つかある。 今回はその偶然見つけた三角点を三つ報告いたします。
最初に、ごく最近見つけた三角点を紹介します。その三角点は2012年4月28日に那智勝浦ツーリングに出掛けた先で発見。 その時のいきさつは先日ブログ(那智勝浦へのツーリング(その2))で報告したとおりで、重複することになるが改めて報告する。
潮岬近くの樫野崎燈台を訪れ、トルコ軍艦遭難慰霊碑と燈台の間にある広場まで来たとき、「こんなところに三角点が在りそう」とキョロキョロしていると、ツーリング仲間のK君が「三角点がありますよ」と筆者が見つけるとほぼ同時に声を掛けてくれた。 K君はこのブログの数少ない読者で、筆者が三角点を探していることを知っていて見つけてくれたものです。
この三角点は非常に管理状態が良く、和歌山県と建設省国土地理院とが共同で設置した説明板が添えられていた。 三等三角点であることのほか、緯度・経度と標高が正確に表示され、三角点の設置時期が明治36年(西暦1903年)であることまで表示されていた。


次に報告する三角点は二つとも沖縄に旅行した時に偶然発見したものである。 最初に発見した三角点は2月13日に波照間島にある展望台で、床に埋め込まれた真鍮製の円盤を見つけ、刻印された文字を読んで三角点であることが判明した。 いつもの石製の三角点ではなく、真鍮製の三角点を見たのは初めてである。 この真鍮盤には『この測量標はすべての測量の基準です。三角点を大切にしましょう。 四等三角点 基+本 №109233 国土地理院』と刻印されていました。


今回の報告の最後は2月17日に沖縄本島の勝連城跡を訪れた時に発見したものである。 巨大な石垣で築かれた城跡の最上部で、いつもの4個の丸い石で囲まれた石柱を見つけ、こんな人工的な城跡に三角点があるとは考えも付かなかったので非常に驚いた。
勝連城跡の三角点は四等で背面に№と思われる数字が027 652と二行に分け刻まれていました。


この三つは全て偶然見つけたもので、このことが三角点は意外とどこにでも在ることを現しています。 四個の丸い石で囲まれた花崗岩の石柱の景色は、筆者の記憶の中にもそれが何処であったかは定かではないが克明に刻み込まれており、おそらく子供のときから何度か目にした光景であるに違いない。
那智勝浦へのツーリング(その2)
ツーリング二日目の朝は晴天で迎えた。
若い仲間の無限とも思える食欲に刺激され美味しく朝食を済ませ、予定した出発時間の8時には全員がホテルの玄関前にバイクを並べて準備完了。 ホテルの従業員にお願いしてバイクと共に記念の集合写真を撮って出発。

国道42号を南下し最初の観光スポットである「橋杭岩」で記念写真を撮り、「くしもと大橋」を渡って「樫野崎」でトルコ軍艦遭難慰霊碑と燈台を見学した。 こんなところには三角点が有りそうと思い探していると、なんと芝生の真ん中にそれらしい杭を発見。 思いがけず見つけた三角点に大満足で確認の写真を数枚写した。
次の観光地は「潮岬」で本州最南端の記念碑の前で全員が揃って写真を撮った。
ここからは元来た道の国道42を北上、昨日宿泊した紀伊勝浦から県道43に入り「那智の滝」に向かった。 途中の道の両側に昨年の洪水で流されてきた土砂と岩石が大量にあり、いたるところで重機が激しい音を立てて巨岩を破砕していた。 既に1年近くたった今でもこんなに多くの土砂が残っているのを見て、昨年の災害の大きさが想像以上に大きかったことを実感した。

次の目的地は「熊野本宮大社」である。 国道42を新宮市まで戻り、和歌山県と三重県の県境を流れる熊野川に沿って国道168で「熊野本宮大社」に到着。 ここで昼食を取ったお店の女性から「この大社前一帯のお店が昨年の大雨によるダムの放流で水没した」という話を聞き、窓から外を見てみるとなるほど全ての店が真新しい新築となっていたことに驚いた。

バイクで和歌山に来たら必ず走らなくてはならない「高野龍神スカイライン」に向け、近道と思われる県道425に入ったが途中で通行止めの看板に遭遇。 あきらめて熊野本宮大社まで戻り、元の計画通り国道311に入ったが、ここで約1時間のタイムロスを余儀なくされた。
その後、国道311から県道198を経由し、今回のツーリングの最大の目的である「国道371:高野龍神スカイライン」に入った。 この道は関東で言えば伊豆スカイラインの路面を少し悪くしたような道で、他のライダーも混じって楽しく走ることが出来たが、途中のタイムロスが効いて高野山金剛峰寺に着いたのは17時を過ぎていた。 正門は既に閉まっており脇門から黙って入り、数枚の写真を撮って観光を終了。

ここで全ての観光を終えたが、今夜の宿泊先は名古屋でありまだまだ下道を走らなければならない。 高野町から橋本市に向かう国道371は、国道とは名ばかりの道幅も狭くきついカーブの連続で、少し暗くなった夕方の走行は厳しかった。 何とか橋本市に出て国道42を北上し、名阪国道の郡山ICに向かったが、狭い道幅の一般国である上に夕方の渋滞にも巻き込まれ、名阪国道に入ったのは既に21時近くとなっていた。
全員が疲れ果ててはいたが名古屋まで行かなければ宿は無いわけで、そこからひたすら走り伊勢関ICから東名阪自動車道を経由して名古屋国際ホテルに到着したのはなんと22時30分であった。 この日の走行距離は480kmとなった。
三日目は10時にホテルを出発、途中の渋滞が心配されたが、新東名開通のおかげでガラガラに空いている旧東名を走り、自宅に16時30分に到着した。
若いメンバーの旺盛な食欲に圧倒されながらの、楽しい「伊勢志摩ツーリング」3日間の総走行距離は1,333㎞であった。
若い仲間の無限とも思える食欲に刺激され美味しく朝食を済ませ、予定した出発時間の8時には全員がホテルの玄関前にバイクを並べて準備完了。 ホテルの従業員にお願いしてバイクと共に記念の集合写真を撮って出発。

国道42号を南下し最初の観光スポットである「橋杭岩」で記念写真を撮り、「くしもと大橋」を渡って「樫野崎」でトルコ軍艦遭難慰霊碑と燈台を見学した。 こんなところには三角点が有りそうと思い探していると、なんと芝生の真ん中にそれらしい杭を発見。 思いがけず見つけた三角点に大満足で確認の写真を数枚写した。
次の観光地は「潮岬」で本州最南端の記念碑の前で全員が揃って写真を撮った。
ここからは元来た道の国道42を北上、昨日宿泊した紀伊勝浦から県道43に入り「那智の滝」に向かった。 途中の道の両側に昨年の洪水で流されてきた土砂と岩石が大量にあり、いたるところで重機が激しい音を立てて巨岩を破砕していた。 既に1年近くたった今でもこんなに多くの土砂が残っているのを見て、昨年の災害の大きさが想像以上に大きかったことを実感した。

次の目的地は「熊野本宮大社」である。 国道42を新宮市まで戻り、和歌山県と三重県の県境を流れる熊野川に沿って国道168で「熊野本宮大社」に到着。 ここで昼食を取ったお店の女性から「この大社前一帯のお店が昨年の大雨によるダムの放流で水没した」という話を聞き、窓から外を見てみるとなるほど全ての店が真新しい新築となっていたことに驚いた。

バイクで和歌山に来たら必ず走らなくてはならない「高野龍神スカイライン」に向け、近道と思われる県道425に入ったが途中で通行止めの看板に遭遇。 あきらめて熊野本宮大社まで戻り、元の計画通り国道311に入ったが、ここで約1時間のタイムロスを余儀なくされた。
その後、国道311から県道198を経由し、今回のツーリングの最大の目的である「国道371:高野龍神スカイライン」に入った。 この道は関東で言えば伊豆スカイラインの路面を少し悪くしたような道で、他のライダーも混じって楽しく走ることが出来たが、途中のタイムロスが効いて高野山金剛峰寺に着いたのは17時を過ぎていた。 正門は既に閉まっており脇門から黙って入り、数枚の写真を撮って観光を終了。

ここで全ての観光を終えたが、今夜の宿泊先は名古屋でありまだまだ下道を走らなければならない。 高野町から橋本市に向かう国道371は、国道とは名ばかりの道幅も狭くきついカーブの連続で、少し暗くなった夕方の走行は厳しかった。 何とか橋本市に出て国道42を北上し、名阪国道の郡山ICに向かったが、狭い道幅の一般国である上に夕方の渋滞にも巻き込まれ、名阪国道に入ったのは既に21時近くとなっていた。
全員が疲れ果ててはいたが名古屋まで行かなければ宿は無いわけで、そこからひたすら走り伊勢関ICから東名阪自動車道を経由して名古屋国際ホテルに到着したのはなんと22時30分であった。 この日の走行距離は480kmとなった。
三日目は10時にホテルを出発、途中の渋滞が心配されたが、新東名開通のおかげでガラガラに空いている旧東名を走り、自宅に16時30分に到着した。
若いメンバーの旺盛な食欲に圧倒されながらの、楽しい「伊勢志摩ツーリング」3日間の総走行距離は1,333㎞であった。



