ダイハツのCMに出る橋

ダイハツキャストのCMで「何じゃ、こりゃー」というモノがある。
それは数年前ダイハツのコマーシャルで有名になった、島根と鳥取県境に架かる江島大橋(通称ベタ踏み坂で、筆者ブログ「老夫婦二人の山陰旅行(その4)」2014年12月22日)に続く橋を話題に取り上げたCMで、その場所は筆者の出身地である高知県にある。
11月初旬に帰郷した折、子供の頃美味しく食べた「手結の餅」を食べたいと思い立ち、弟と一緒に車で手結まで出掛けた。
手結港の直ぐ隣り合わせにある住吉港には戦時中水上特攻艇・震洋の基地があって、終戦日(昭和20年8月15日)の翌日、出撃準備中に誘爆事故を起こし隊員111名が爆死したことは地元高知では有名な話である。この日出掛けた手結港には、その水上特攻艇・震洋隊の援護目的で配備された魚雷艇隊があった事はあまり知られてなく、筆者もこの記事を書いていて初めて知った。
肝心の可動橋であるが、外に新しく増設された港と旧い港を繋ぐ狭い水道を跨ぐ形で架けられ、旧手結港に停泊する漁船の出入りを目的とした可動機能を備えた橋であるらしい。
橋の袂に鉄道の踏切の様な遮断機が設置され、手前には「通行時間制限あり」の時刻表が掲げられた面白い橋であった。

可動橋の時刻表

行った時は橋は上がっていなかった

橋の袂に設置された踏切の様な遮断機

小学校の頃に習った記憶によると、手結の港は野中兼山公が日本で初めての堀込湾として築港したもので、この日は野中兼山の功績をたたえた顕彰碑も見る事が出来た。野中兼山が手掛けた数々の土木工事の事は社会の授業で教わり、その記憶の中で最も鮮明に記憶していたのが手結港の築港の話である。
また、野中兼山の墓は筆者が子供の頃に遊んだ筆山の中腹にあり、その石碑の余りにも大きな存在感から、子供心に大変偉い人との認識を持ったことで、手結港誕生の経緯を今でも記憶に留めているのかも知れない。

港から眺めた可動橋の姿

手結には個人的にもう一つ大切な思い出がある。
38年前に亡くなった父親が元気な頃、帰省した筆者家族と弟家族とを度々食事に連れて来てくれたのが、手結港に在った「かね三」と云うエビ料理屋で、その美味しさは今でも時々家内と話題になる程であった。
折角手結港に来たので40年も前の記憶を頼りに弟と二人で探し回ると、写真の看板を発見しただけで、遂に店もその建物も見つからなかった。

漸く発見した「かね三」の看板

その後、本来の目的である「お茶屋餅澤餅茶屋」で「手結の餅」を購入。店の人に「かね三」の事を尋ねると「20数年ほど前に閉店、営業権を譲り受けた方が数年続けたが結局ダメになった」とのことで、今ではあの味を味わうことが出来ないことが判明した。

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